船を諦め、家族のもとへ
”津波が襲うかもしれない”、そう思ったとき多くの漁師は船を守るため、できるだけ沿岸から離れる、つまり沖へと向かう。しかし沖で操業中の第三十八寛洋丸は、地震直後沖へは留まらず、陸へ戻った。所有者の「さっと」は、船のことよりも家族が何より心配だった。
蔵内漁港に残った「宝船」
家族の無事を確認し、眠れぬ一夜を過ごした翌朝、「おい、お前の船生きてたぞ」の声。港に係留していた船は壊滅的な被害を受けていたが、第三十八寛洋丸だけは大きな損傷もなく浮かんでいた。正に宝の船だ。
とはいうものの、多くのものを失った震災当時、漁業を再開できるかどうかを考える余裕はなかった。
一人ではできない。しかし…
震災後しばらくの間は、がれきの片づけや日々の生活で追われていたが、徐々にきれいになるにつれ「海に戻りたい」「おれもやりたい」という仲間の声が聞こえ始める。船が残ったとはいえ、養殖施設も全て流失してしまったので一人では何もできない。一匹狼だったそれぞれの漁師にとっても、海に戻るには仲間の協力が必要だ。
沢山の人々の、沢山の協力で再起を賭ける
漁師仲間が集まったとはいえ、養殖施設の最も重要な足がかりとなる土俵(固定アンカーとして用いる砂利を詰めた袋)も、数千俵拵えなければならず、途方に暮れていた。しかし、多数のボランティアの学生さんや社会人の方々が、この作業を手伝ってくれた。汗まみれ・泥まみれになりながら。
こうして、無事に養殖の準備も整い、震災後の2012年にはわかめ生産は震災前のほぼ100%にまで回復した。
また、主力商品の「こいわかめ」のネーミング、パッケージデザインも、ボランティア団体からご紹介されたデザイン会社に手掛けて頂いた。
これだけ早期に回復できたのも、沢山の人々の、沢山の協力があってこそ。蔵内へ来て、私たちのために一所懸命動いてくれた皆様に、心より感謝します。